Sleeperのブログ

ネットの奥深くに眠るブログ。。。

文章というツールの危うさと良さ

現代になって、文章で残す機会が増えたと思う。

いやTwitterなんて140字しか書けないだろ、そんなん文章と言えるんかいと思うかもしれないが、それすらない時代に比べたら現代は「物書き」の時代である。

文章を書いていて思うのは、鋭利であるということ。人を簡単に刺せる、そんな力が文章にはある。これは「言葉には気を付けなよ」とか簡単なことを言いたいわけではない。イメージとして、文章ってツンツンしてるよね。物理的に。という話である。

口で言う言葉は、文章とは逆に鈍器だと感じる。なぜかというと、表情や口調が加わることで言葉そのもの以外の意味まで読み取れるからだ。言いたいことはほとんど伝わるから、威力が凄い。怒られたらシュンとするし、褒められたらニヤニヤしてしまう。

一方、文字ではなかなか伝わりにくい。だからこそ「文学」というものがある。文字で伝えられることが現実世界と変わらないのならば、芸術にはならない。音楽や絵画と同じである。文字だけという制限があるから、逆に一つ一つの言葉の意味が重くなるのだ。だから文章は面白い。

しかしそれが危うさともなる。一つ一つの言葉の意味が重いから、ちょっとした言葉の選び方で捉えられ方が全く変わってしまう。殴る気が無くても、ちょっと出てたささくれみたいな棘が人を刺してしまう。怖いね。言葉には気を付けなよ。

結局簡単なことを言いたいだけでした。