Sleeperのブログ

ネットの奥深くに眠るブログ。。。

「花束みたいな恋をした」感想

サークルの友達に薦められて見た映画。友達は「この映画、とにかく痛い大学生の映画だから一緒に冷笑しようぜ」という感じで薦めてきた。じゃあどうよと思って見たら、冷笑ではなく純粋に面白いと思った。もちろんサブカルクソ大学生の痛さは存分にあるが、そのままではいられない現実の非情さを痛烈に描いていて、見てて苦しくなってしまった。働きたくないね~。自分にとってこれは泣ける映画というよりも、説教してくるというか、淡々と未来の自分を見せてくるような、そんな映画だった。

以下、まとまらない細かい感想をぽろぽろと書いていきます。

サブカル大学生とはいえ、だいぶ文化的に豊かな生活を送ってるよな~と思う。正直羨ましい。文学に音楽に漫画や映画や演劇、お笑いまで網羅しているとなるとなかなか広い。その分大学行かなかったりしてる(ついでにそれで卒業できてしまう)から、自由時間は多いのかな~とは思えど、それにしても羨ましい。自分も、なれることならちゃんとサブカル大学生になりたいけど、インターネットばかり見る「無キャ」になりつつある。

小説家の名前は全然知らないし映画も疎いので、そこを分かったらもっと面白く見れたんだろうなと思う。ただ、例えば音楽は多少分かるのでそこでのサブカル臭さの描写が良かった。カラオケで歌われるGReeeeNセカオワときのこ帝国が、「文化に疎い下賤な人々(サブカルクソ野郎視点)」と「純文学が分かる我々」みたいな対比に見えて大変良い。あと、お笑い。天竺鼠。丁度いいサブカル的浅さ。広く浅い、クイズ王的サブカル大学生が抑えているであろう芸人。本人たちの志向あるなしにかかわらず、サブカルクソ野郎に祭り上げられる芸人っているよね。王道はラーメンズ、次点でAマッソ。今はダウ90000なのだろうか。

でもこういう豊かな生活をするにはお金が必要。お金を得るには働かなければならない。辛い。菅田将暉演じる山音が「人脈」って言葉を言ったときに感じる「あ、堕ちたな」という感覚。でも、生きていくためにはそこに堕ちていかなきゃいけない。小説を手放してビジネス書を読むようになる。映画や漫画でなくて安易なソシャゲで楽しむようになる。物流というエッセンシャルワークに対する、イベント会社という胡散臭い仕事に嫌悪感を持つ気持ちも分かる。オダギリジョーのうさん臭さは最高だった。

でもどこか山音も堕ちきっていない部分はあって。別れるときに、告白したときと同じファミレスに行ったり。そのときに座っていた席が座られていてちょっとがっかりしたり(そして多分それはそれとして、悲劇の結末という形でドラマ性を帯びさせて)。だからこそ別れたくない気持ちもあるよな、と思う。こんだけ心が通じ合う二人なんだから、ヨリを戻そうと思えば戻せそうだけど、そうなるともう一気にくっさい話になるし、何より物語として綺麗じゃないのでこのままずっと別れたままでいることを選ぶのだろう。お互い別の人と結婚して、でもお互いにお互いのことはかけがえのない思い出、唯一無二のものとして心の中に残り続けるんだろうな。そう思うとちょっと気持ち悪い……。二人はこのまま二心を抱いて生きていくのだろうか。物語性なんていいから、youたちもう一度付き合っちゃいなよ。と、珍妙な感想でした。