SUMMERの始まりを感じるMUSIC

6月になってしまって、もはや夏。夏は暑くて好きじゃないね。だけど創作の中の夏は違う。爽やか。清々しい。風を感じる。風と言えば藤井風。

 

1.藤井風「きらり」

 

最近cmで流れてて、ひと聴き惚れしてしまった。「爽やか」で「始まり」を感じさせる曲。というわけで今回は「SUMMERの始まりを感じるMUSIC」というテーマでプレイリストを作ってみた。テーマ名がダサいね(今さら)。

youtubeで今回の記事に載せた曲のプレイリストも作ってみたので、興味がある方は是非!

 

↓リンク

SUMMERの始まりを感じるMUSIC - YouTube

 

2.パスピエトロイメライ

 

爽やか。透き通っている。夏にふと生まれる、曖昧な、割り切れない感情みたいなのを想起させる。「開花前線」も透き通っていてオススメ。春の始まりを感じる曲。

 

3.石風呂「魔法電車とキライちゃん」

 

これは夏のジリジリとした暑さも力に変えてどっかに行こうぜみたいな、背中を押してくれるような曲。歌詞に夏要素はないので、夏っぽさは私が勝手に感じているだけです。

 

4.SHISHAMO「君と夏フェス」

 

めっちゃ夏じゃん。もう甘酸っぱいね。夏の切なさとか、出ちゃってるよ。どうして夏って一期一会みたいな感覚があるのだろう。それだけ夏というのは特別な季節なのだろうか。

 

5.相対性理論「夏の黄金比

 

この曲を聴くと、夏を感じながら、ぼうっと室内で過ごす時間のことを想ってしまう。夏っぽいのに、爽やかとは言い切れない。

 

6.東京事変群青日和

 

夏も盛り。新宿は豪雨。って歌詞に「十二月」って入ってるんですけどね。そんなの関係ない。夏を感じる曲。

 

7.フジファブリック「陽炎」

 

夏が段々陰ってきました。(夏の始まりってテーマだったのに。。。)

詩的な曲。昔の夏の記憶が蘇っていく。気持ち悪いくらいに「懐かしい」という感情が沸き起こる。いきなり雨が降って、また晴れて、という空模様が夏をより幻想的にさせるのかもしれない。

 

8.Base Ball Bear「short hair」

 

夏は暮れかけているが、未だに残っている夏。夏が暮れていくのが惜しくなる時期というものが、夏嫌いの私にもあるから不思議なものです。盛りには散々苦しめるのに、終わるにつれて哀愁を持たせてくるから夏というのは憎めない季節ですね。かけがえのない青春を感じる曲です。

 

9.indigo la End「夏夜のマジック」

 

じっとり。曲の感想で「じっとり」っていうのはあまり良くない気がするが、実にその言葉が似合っている。残った夏を噛みしめるような曲。夏よ、終わらないでくれ。。。

 

10.andymori「すごい速さ」

 

終わりました。あっさり。いとも簡単に。すごい速さで。andymoriは軽快でいいですね。この勢いで秋も終わって冬も終わって春も終わって、また夏が来る。「夏が終わる? また来るやん!」と言ってのけてしまうような曲。爽やか。

 

以上10曲が「SUMMERの始まりを感じるMUSIC」改め「SUMMERの全てを感じるMUSIC」でした。最初はSUMMERの始まりだけにしようと思ったのだが、似た曲調になるのもあれだな、と思っていたら結果こんな感じになってしまった。タイトル詐欺っぽくなったが、許してちょんまげ(!?)。

 

Sleeperがお送りしました。

 

今週のお題「わたしのプレイリスト」

 

混乱が躍る生活

コロナの騒ぎが始まってもう一年以上経った。まだまだ混乱は収まる気配がないし、一寸先の未来がどうなるかすら全く分からない。東京五輪がどう、緊急事態宣言がどう、この夏も何もできないのか、どれもこれもが分からない。

それでも、来るものは来てしまう。泳げないというのに水泳の授業はあるだろうし、テーマがぐちゃぐちゃになってる研究発表だってまとめなければならないだろうし、大変な課題に取り組まなければならない美術も毎週のように来る。副教科ばかりに気を取られるのは私は非常に不本意で、学校に行きたくなくなる理由でもある。私は今高2なので1年半後に受験があるのだ。勉強に集中したい。しかし、果たして合格したところで学校に通えるのか。それすらも分からない。

皆同じように大変なんだ、って言う人がいるけれど、弱音ぐらい吐かせてほしいね。弱音を吐かれることにすら我慢できない人はよっぽど狭量な人なんだなと思ってしまう。

私はストレスに弱い。多分私みたいな人は全然特別じゃないと思う。いわゆる「繊細さん」とか「HSP」とかカテゴライズされるけど、全然それは特別じゃなく、一般の人の半分くらいは潜在的に「繊細さん」だと思うのだ。ストレスに強いとか言っても、我慢して、心をすり減らしながら強がっているのなら同じことでしょう。このストレスが溢れる非常時に我慢していたらパンクしてしまう。命あっての物種である。パンクする前に、自分に正直になった方がいい。もうストレスなんて嫌なんだ、と。

だけど、それは逃げる手段にはならないことも知っておかなければならない。社会は非情なもので、学校に行かないと、会社に行かないと、社会の一員として認められないのだ。自分だけ楽するのはおかしなことだから、当たり前のこととも言える。だが、その事実がますます自分を追い詰める。どうすればいいのか。悲しいことに、答えは出ない。生きるのに道筋があれば、どれほど楽であろうか。だがまた、どれほどつまらないであろうか。人は迷えるから楽しいのだと言える。

この世界がぶっ壊れたような混乱の中で、私はどれほど迷えるか。何ができるかは考えないことにした。結果にこだわっていたら疲れるでしょ。さまよいながらでも歩いていれば、何か新しい景色が見えるかもしれない。

青春コンプレックス

中学時代、私は帰宅部を選んだ。

良くも悪くも、それは私の人生に影響を与えた。

多分、今中学時代に戻ったとしても私は帰宅部を選んでいただろうと思う。運動も出来ないし、他の文化系部活には男子が少なくて居づらそうだったし。だから、仕方のないことである。ただ、どうにも消化できない、非常に迷惑な「後悔」が私の心の奥底に棲みついているのだ。これは文章にすれば消えるんじゃないかと思って今日の記事を書いている。いわばこの文章は中学時代の総決算である。新しい世界に進むために、この記事を書く。

 

中学時代、私には友達がいなかった。

小学校からの友人は誰一人いなかった。小学校時代から友人同士の人が大勢いる中で、私は一人であった。今まで隣の小学校に通っていたのに、中学校はバスで行かないといけないほど遠くなってしまった。それまでの世界が、ひっくり返ってしまったようだった。この世界の変化は中学1年生には早かったと思う。入学してからも気持ちばかりが焦る日々が続いた。

 

気づいたら私は部活に入っていなかった。部活動体験の際にも、部活に顔を出す勇気がなかった。希望する部活も無かったので、行く当ても無かった。そして友達もいなかった。孤立した私は、皆が部活動体験をする中、バス停でバスを待っていた。日が暮れるのを眺めながら、「自分はこれでいいのかな」と思った記憶がある。

「これではいけないかもしれない」

そう薄々思いながらも、やはり部活に入ることについては懐疑的であった。「入部する」「先輩がいる」「顧問がいる」、この世界が妙にうざったく感じた。

 

特に私は「先輩がいる」のが嫌いである。小学校のイベントのときに理不尽に遭って、理不尽に怒られ、人格を否定されたことは今でも鮮明に覚えている。あれから私は先輩とか年上とかを一切信用しなくなったし、長い年月が経った今でもやっぱり嫌いだ。楽しいはずのイベントが最悪の思い出になったショックはトラウマとして残っている。

 

そういうわけで結局部活に入らないのは、言ってしまえば必然であった。それなのにこの後悔は何だろうと思うと、やはり「ふいにした時間」と「送れたかもしれない同級生との青春」である。

 

ふいにした時間。これは大きなものであった。中学3年間部活に入っていないと、とんでもない量の時間が生まれた。この時間を有意義に過ごしたかと言えば、全くそんなことはない。なんとか有意義に過ごそうと思って悪戦苦闘していた。エブリスタで小説を書いたり、ブログを書いたりしているのも、この焦りから生まれている。今のような余裕は、その頃の創作物には無い。焦っては空回り。何かyoutuberで成功とか小説の新人賞獲得とか、そんなことがあれば「帰宅部でよかった」という根拠になる。その根拠を私は必死で探していた。しかし、見つからなかった。それで鬱になって、「ゆめにっき」というゲームが唯一の安らぎだった時期がある。

そして、送れたかもしれない同級生との青春である。たまに委員会の仕事で遅くまで学校にいると、頬を染めて汗をかいている友達の姿を見る。大声で笑い合ったり、タオルで顔を拭いたり。そんな中で一人歩いていると、ひどく惨めな気分になる。自分にもあんな青春が送れたかもしれない。運動神経が悪くたって、運動部に入った方が良かったのかもしれない。今更考えても遅いと言うのに。

 

部活を通して友達と仲良くなったり、異性と仲良くなって恋人未満友達以上の関係になったり、毎日日が暮れるまで学校で過ごしたり、結局そんな思い出が私は欲しかったのである。送れなかった思い出に憧れがあるのだ。これは青春コンプレックスである。いつも日が高いうちに学校を出て、バス停で一人バスを待つ生活は、結局のところしんどかったのだ。部活もしんどいと思う。確かに。しかし、一人というのは辛いのだ。何が辛いって、自分が何者でもないこと、それが一番辛いのだ。

 

こんなに熱く語ったって、無くなった青春は帰ってこないのだ。そんな思い描く青春は送れなかったかもしれないのにもかかわらず、私は幻想上の青春への憧れを強く抱く。

抱いていた。

それは今まで。

 

今、私は部活に入っているし、それなりに楽しい生活を送れている。バス停から見える夕焼けを見て落ち込んでいた、その日々が糧となって今の自分がいる。全ては繋がっている。中学時代は決して無駄にはなっていないのだ。

そのことを中学生の頃の自分に知ってほしい。

 

部活帰りの学生がたくさん乗った、熱気あふれるバスの中に、青春コンプレックスは忘れていこう。バスを降りて、外の空気を吸って、前に進もう。

 

 

鼻が痒い!

もう今日は、鼻がずーっとムズムズしてる。もうヤバイ。なんで鼻がムズムズしてるのかは、分からん。花粉飛んでる? 花粉の時期? スギ花粉のときには全然平気なのだが。今はヒノキか。だが、目が痒くなったり喉が痛くなったりはしていない。ただ鼻が痒い。なんかもうよく分からない。分からないすぎて踊りたくなる。

だから、決めた。

 

鼻を外す。

 

こんな簡単なことになぜ気がつかなかったのか。鼻が痒いのなら鼻を取り外せばいいだけ。簡単な話である。簡単すぎて大学教授もビックリである。わーお。

鼻を外したら、それは快適快適。だって痒くならないんだもの。アレグラとかアネトンとか使わなくていい。鼻を外せばいい。眠くもならない。「眠く!」「なり!」「にくい!」「アレーグラー」じゃないんだよ。鼻を外せばいいんだよ。なんで誰も気がつかないかな。

 

しかし一つ問題点がある。それは、

 

「鼻は取り外しできない」ということである。

 

違う方法を考えようと思う。

好きな音楽2021年04月

好きな音楽の話。羅列します。

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Sleeperという名前に相応しいかなと思って睡眠薬の「ハルシオン(halsion)」をブログのタイトルにしていますが、ハルシオンを知ったのはこの曲。思考の余白が暴走するってカッコいいね。

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SHISHAMOにハマってます。

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これも好き。かわいい曲。でもメロディはカッコいい。ギャップ萌え。

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アニメの主題歌っぽい。って思ったら実際に主題歌でした(境界のRINNE)。盛り上がりが華やかだから聞いてて楽しい。

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ギラギラ感がたまらなく好き。もっと売れていいのに。

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大好きな曲。歌詞が沁みる。

てなわけで気がついたら女性ボーカルの曲ばかり紹介していましたが、そういう気分ということです。

音楽っていいよね。

 

 

明日から新学期(という名の修羅の世界)

ついに明日から新学期である。

正直ここ1か月は、のほほんと過ごしていた。

ラウワンやカラオケで遊んだり、インターネットに浸かったり。

でも、もうそんな穏やかな日々は終わった。

この先に待っているのは、修羅の世界。

争いの絶えない世界が待っている。

 

私の高校には頭の良い輩が集まっている。彼らに私は今「圧倒」されている状態だ。しかし、内心このような考えがあった。

 

「ま、私は文系だしな~」

 

そう。いくら数学や物理で平均点を割ろうが、私は文系だ。理系の人には敵いませんよ、そりゃ。でも文系なら強いからね? 歴史好きだし。まだ習ってないけど。

 

ところが。

2年生から文系と理系でクラスが分かれるのだ。

これで「文系だし」という言い訳ができなくなる。

「ただ単純に出来の悪い人」になってしまう。

というわけで、ついに「戦い」が始まるわけだ。

 

今までの1年間は遊びだった。

1年を振り返ってみても、文化祭で女装した思い出しかない。

ちなみに私の通う高校は男子校である。

公立男子校という絶滅危惧種の高校に通っている。

修羅の世界になっているのは男子校が一つの理由になっているかもしれない。

リア充のチー牛顔した男どもが、唯一の武器である勉強で1位を目指して争っているのだ。これを修羅の世界と言わずに何と言う。

私も修羅の世界に交じって戦おうと思う。

夏までが勝負だ、と勝手に思っている。