Sleeperのブログ

ネットの奥深くに眠るブログ。。。

イチローがPerfumeのレーザービームに合わせて人類を滅亡させたようです。のコメント調査

www.nicovideo.jp

 

このMADをご存知だろうか。

2011年7月18日に公開されたこの音MAD、私がネット文化にハマり込むきっかけの一つとなった動画である。見たのは2017年頃。中学生になった頃に知ったと思う。今日久々に見てまた感動してしまったのだが、この動画を見て感じる感動に段々「懐かしさ」に対するものも増してきた。レーザービームという曲も懐かしくなってきたし、イチローも引退してしまった。不可逆的な時間の流れを感じる。

一つの「作品」と言えるほど構成や不条理さが完成されているこの音MADであるが、動画中に出てくる有名なコメントが多々ある。

「<(^o^)>アッザザザザス!」

「1hit」(爆発数を数えるコメント)

「うさぎキャノン」

ぬるぽ

など。アッザザザザスに至ってはSimejiで「あざす」と打つと変換予測に出てくる。音MADのコメントが文化として根付くというのは凄いことである。

 

今回は、これらのコメントがついたのはいつ頃からか、というニッチなことを調査したくなったのでしてみる。ニコニコ動画は今までについたコメントを全てログとして残しており、ネットの文化形成についての研究に大変役に立つ。ありがたい。

以下が調査結果である。

 

2011年7月18日 18:49

ニコニコ動画に投稿される。(初コメは「1」)

 

(ここからコメントを昔から1日ずつ調査しようとするも、当時この動画ではコメントの寿命が80分という驚異的な短さであったことが判明し、あるコメントが初投稿されても文化として定着せずに流れ去っていくことが分かった。なので「初投稿」と「文化として定着したことが認められた」時期にはギャップがあることを先に言っておく。以下、20:00時点のコメントを参照する)

 

7月19日

早くも「根絶やしDEATH」が投稿される

7月20日

爆発のカウント「hit!」が投稿されるようになる(hit職人の出現)

7月21日

なんと動画の序盤、「鳥羽一郎」ではなく「しょっぱいイチゴ☆」と投稿される。(1日だけ、定着せず)鳥羽一郎が後半に出てくるためにネタバレを避けたのか、そもそも鳥羽一郎を知らなかったのか真偽は不明。また、語尾に☆がつくコメントはこの日に初めて見られた。

ぬるぽ」も見られるようになるが、この後もついたりつかなかったり安定しない(現在においてもぬるぽコメントは1つ2つしかなく、時期によっては無さそう)

7月22日

「ペンギンキャノン」が投稿される

「ヴェイ☆」(35秒ごろ)が投稿される

7月23日

「うさぎキャノン」が投稿されるも「うさぎDARO」が優勢。うさぎと空耳する風潮にはなったがまとまらず。☆がつくコメントは完全に定着する。

ついにここで「アッザザザザス」が投稿されるも形式は「<(^o^)>アッザザザザス!」であった。顔文字は「^」が全角で「ホモォ」を想起させる。また、アッザザザザスも全角である。

また、「hit」が「combo」に取って代わられる。表記が安定しない。

7月24日

「hit」が再度取って代わる。「うさぎキャノン」のみ生き残る。

表記が「<( ^o^)>アッザザザザス!」(顔の角度が違う)になる。この顔文字はますます「ホモォ┌(┌^o^)┐」を想起させる。

「ほ ぼ イ キ か け ま し た」が投稿される。(亜種はこれ以前にも投稿されており、空耳でもないため初期からずっとあるコメだと思われる)

「ウマウマ(゚∀゚)」が投稿される。これは定着していく。

7月25日

「うさぎキャノン」が定着していく。一方の「ペンギンキャノン」は定着せず。

表記が「< (^0^) >アッザザザザス!」になる。

7月26日

表記が「< (^O^) >アッザザザザス!」になる。毎日表記は異なるが、大抵が1人の連投によるものなので、その瞬間で見たら皆同じ形式でコメントしている。

7月27日

「年中ビッチ」が初めて見られる。

ついにここで「<(^o^)>アッザザザザザス!!」の表記が現れる。腕が全角だがほぼ同じである。以降、これが主流になっていく。

 

現状況と変わらなくなってきたため、ここで調査終了である。おつかれした

今日見た夢

ドン・キホーテくらいごみごみした本屋に入る。熱気がすごい。純文学も絵本も同人誌もごった煮の本屋で昔の知人に会う。「久しぶりだね」とか言葉を交わすも束の間、ごみごみした本屋を抜けて私は1人、人気の少ない階段の前に立つ。

5F,6Fが美術館という看板を見つける。ここは4Fだったのかと今認識する。美術館って何だろう、こんなところに。あまりにも人がいないから階段を上るのも躊躇う。しかし夢の中での全てを破壊しても良いというような特有の衝動に駆られて階段を上る。

そして上った先には唐突に昔好きだったバンドがライブをしていた。客は1人もいなかった。気まずいと思いながらも好きだったバンド、ボーカルの目を見つめながら一人で歌を聴いていた。すると微笑んでくれた。やっぱり好きだなと思って微笑み返すと今の友人が何人もわらわらと階段を上ってきた。

「なにやってんだ?」

ああ、ああと笑いながら受け流してその場を乗り切る。一人でこんな所にいるのが恥ずかしいと思った。

そして友達が去ってから、そのボーカルは

「一人だと思って君だけのために思いを込めたのに、友達わんさかおるやんけ」と笑いながら言う。私も笑う。もう最近の曲は聞いてないという罪悪感を抱きつつ。

2022/5/5の日記

久しぶりのブログ更新!

ゴールデンウィークも終わってしまう。今日も今日とて何にも出来なかった。どうすればもっと生産的な生活を送れるのだろうか……(´・ω・`)

ネットの中だけでも明るい自分でありたいと思い顔文字や感嘆符を使っていく所存!

匿名掲示板ノリに疲れてしまったのであります……。典型的なオタク口調で文章を書いていると気分が上がるし心も荒まなくてgood!

誰かから馬鹿にされるとか悪く言われるとか考え始めるとキリがない。掲示板ノリの人々は口が悪いからこういうお気楽な人間を貶めてインターネットを最悪の場所にしたわけであります。色々な人がいるのがネットの良さなのに、今のネット見れば定型のコミュニケーションばかり。昔のテキストサイト群とか見ると心が華やぎます。今の格式ばった文と愚痴ばかりのnoteとは大違いですや。(ブログはまだ閉じコン感あって多様性あるけどね)

兎にも角にも、この心が荒みきった時代に逆行していこうというわけです。川を逆行する鯉のように。インターネットルネサンスを興していこうではありませんか。煽り煽られの世界とはまた一線を画した世界を作ろうではありませんか!

……だいぶ大袈裟な話になってしまいましたが、今後しばしばこのテンションでブログを書こうと思うので「こういうことだよ」とのお知らせでした。

 

そしてSleeper、今日から日記を付けることにしました!続かないとは思いますが(爆)よろしくお願いします。

 

今日はGW最終日!

振り返ってみれば色々な楽しい思い出が……

 

ない

 

 

ないです。

 

まーこれも受験生の宿命ですね。

休みの日も勉強ばっかりして

 

 

ない

 

 

 

ない……。

 

ただVtuber見て終わった……。

 

(´;ω;`)

 

 

あのー

Vtuberというのは

沼ですね

見ない方がいいです

時間ばっかり取られて

何にも出来ない

ここ最近何も生み出してない

中学時代はアウトプットばかりで

何も見てなかったのに

逆ですね

今は受け身ばっかりで何も生み出してない

最悪です

友達も見てます

これ以上友達に広めないようにします

気をつけます……

 

明日からは学校……

頑張りましょう……(一日だけだけど)

 

 

 

 

(追記 2022/06/05)

1 日 坊 主

 

石風呂楽曲はどうしようもない自分を救ってくれる

石風呂というボカロPがいる。「コンテンポラリーな生活」や「ネクライトーキー」のフロントマンとしても(本名の朝日廉で)活動している。その3ユニットの曲に、今の私は励まされ、奮わされ、救われている。長々とそれぞれの楽曲について語っていこうと思う。

まず初めに知ったのはネクライトーキーだった。あれは確か2018年、中二になった春。その頃はロック音楽にハマっていた。

「オシャレ大作戦」(ネクライトーキー)

カウントダウンからのファイアー。そして陽気なイントロ。大学生ウェイウェイバンドだと最初は思った。しかし段々歌詞が不穏になっていく。明らかに大学生ではないと思われるヒゲモジャのおじさんも目に入る。そして2番のここ。

涙が出たって 大人なら

誰にも見せないで終わらせないと

そうやって嘘もつく

ちょっとオシャレでしょ?

反吐が出るなあ

なんてことだ。曲名にもある「オシャレ」を自分なりに提示してそれを「反吐が出る」と切り捨てている。このギャップは朝日さんの歌詞の特徴といえる。石風呂楽曲でも「ゆるふわ樹海ガール」とかはタイトルから正にそう。可愛い言葉を挟んでから強い言葉を言う。この言葉の落差がたまらなく好きだ。

ちなみに朝日さんは「反吐が出る」という言葉が好きなようで同バンド「気になっていく」やコンテンポラリーな生活(以下コンポラ)の「ヘドが出る前に」でも使われている。反吐っていうのは「反」という漢字が使われているように何か外部からの力に反抗して出てくる自分の気持ちである。反吐というのは強い言葉のようで自分の弱さを表現している。朝日さんは常に弱者側として聴く人を奮い立たせてくれるのだ。

コンポラの「化け物になれば」という曲にはこんな歌詞が存在する。

だけど君らは知ってるか

ロックンロールという音楽は

弱さすら歌うんだぜ

こんな臆病でも

ロックというのは弱い者が反抗する手段である。オシャレ大作戦は「大人になるにつれて世間が求めてくるもの(オシャレ)」に対して「大人になりきれない自分」は反抗していきたい、という曲なんだと思う。年齢への焦りもありながら、まだ反抗するぜ、って。銀河でヘヘイヘイって。

 

確かに風貌や振る舞いはウェイウェイバンドであるが、歌詞に何か違和感がある。

「不穏」がネクライトーキーの魅力だと思う。かわいい感じ、楽しい感じ、でもそれは感じだけでよく見ると何か違うような気がしてくる。

「オシャレ大作戦」の次に私は「だけじゃないBABY」を聴いた。優しく説法されてる感じ。あと何とも言えない虚無感。1回諦めて前に進もうよと言われる。

石風呂の「さよならガール、また会おう」でもそういうことが歌われる。ここから石風呂のターン。

昔のことは全部根に持とう いつかそれを晴らす為に

普通なら「忘れよう」って言うよ。忘れて楽しく生きようって言う。それが「根に持とう」。しかも「全部」! でもこれが心地良い。人間そう簡単に嫌なことを忘れないものだ。忘れて生きろとは綺麗事。ならいっそ全部根に持とう、それを晴らすため。それが過去の自分のためにも良いのだ。結局はポジティブなメッセージなのだ。根暗にとっての希望の歌。

「サイコなわたし」

全部が全部ぶっとんでもう

2人だけになっちゃったとしよう

歌を歌ってしばらく過ごそう

可愛すぎない?

散々根暗だ卑屈だ言ってきたけど、石風呂楽曲は可愛い。キライちゃんも可愛い。「〜〜ぜ!」みたいな言い回しも可愛い。「全部が全部ぶっとんでもう」という荒々しい入りから「2人だけになっちゃったとしよう」。「なっちゃった」が可愛い。「あれ?」「2人だけになっちゃったね」みたいな会話を想像出来る。そして「歌を歌ってしばらく過ごそう」。は〜〜。まず2人だけになって歌を歌うって。そして「しばらく」。心の赴くまま歌うわけですよ。なんだこの可愛い空間。

「ばいばいスーパースター」

この曲が好きすぎる。

きっと見えない魚が

身体を少しずつ食べていくように

消えないはずの気持ちも消えていくんだ

少し少しずつ

時が経つにつれて昔大事にしてた気持ちは見失われていく。でもそれでまた新しい何かに出会えるかもしれない。過去も現在も未来も、生きている時間全てを大切に過ごしていくのが一番の理想なのである。たった一度きりの人生なのだから。

人生は儚い。過ぎたものは戻らない。止まりたくても止まれない。その中でもなんとか足掻きたいから私はこれからも文章を残していく。

最後はコンポラ。ネクライ→石風呂→コンポラの順でハマった。今リピートし続けている「You'll dig it the most」というアルバムはベストアルバムだ。知った頃にはほとんど活動していない状態だったから、ベストアルバムから入った。

「笑えない日々、笑える毎日」

時々僕らは夢を見て

それ以外は嘘をついた

穴ぐら奥に逃げ込んで

イライラして

ここからは完全に個人的な話になるが、私は中学の頃帰宅部で、「穴蔵」というノートを作って夢や愚痴やらを書き殴っていた。アングラにハマっていて語感の似ている「穴蔵」をタイトルに掲げ、文字通り同級生が部活をする中私は穴蔵に逃げ込んでいたわけだ。どうにもならない毎日にイライラしていたのもそうだ。

「自分のことだ」

簡単にそう思った。でもこの歌は思い出深い。思い出に深くリンクしてると言った方が正確か。

 

「ひとえの少女」

歌詞は全文抜粋したくなったのでしません。(著作権の関係。どのくらいの一部抜粋はアリなのか?)

 

この曲が描くのは、何にもならなかった恋愛の記憶。ひとえの少女が笑うのを眺めている僕。完全に忘れることは無理なんだけど、どうにもならなかった恋。そういうもやもやが泣けるぐらい甘酸っぱい記憶になってる。

高校から男子校になってしまった私は特に。高校では楽しく生活してるのかな。よく笑うあの子はこの上なく可愛かった。今も記憶の中で。

 

最後にこの曲。

「センチメンタル・ジャンキー」

エモいとか簡単な言葉で語れるなら人生なんてゴミゲーだろう。やりきれないし憎んでも憎み足りないし、それでも誰かを愛したいし愛されたいし、人生は楽しすぎるし辛すぎる。死にたくなって生きたくなって、笑って泣いて怒って泣いて、急にどうでもよくなったふりしてずっと頭の中で考えが永遠に回っている。そしてそれこそが生きるってことだと思ってるから、これを止める気は無いしこれからも続けばいい、こういう気持ちが失われたときに精神は死を迎えると本気で思っている。

漂う愛を捨てないでくれ

引き出しの中

朝焼けのそば

見事に一つも残さんでくれ

難しいけど

悲しい夢を貶さんでくれ

確かに僕ら滑稽だけど

時代に折れず笑ってくれ

それだけでいい

僕ら、センチメンタル・ジャンキーさ

「見事に一つも残さんでくれ 難しいけど」という歌詞が好き。難しいけど、そういう気概で生きていきたい。

 

以上、長々と語りました。

朝日さんの作曲センスも素晴らしいのですが音楽知識は0なので歌詞メインで取り上げました。本当にもっと世間に知れ渡ってほしい。私も十分遅く知った方だけど。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

(HDD)大掃除の春

久しぶりにパソコンいじってます。

もうパソコンを本格的に始めて6年目くらい。「本格的に」って何を基準に本格的なのかどうか分からないけど。パズルの有料会員制サイトを始めたのはいつぐらいだったのかな。今そのサイトは潰れてしまった。悲しい。

私の最古の書き込みはいつだったのかなと見てみると、私のペンネームが初めてインターネットに載ったのが2012年10月。そう思うともう10年経ってるのか。時の流れは恐ろしい。っていうか小2からインターネットやってるのか。恐ろしや。

初めてコメントがインターネットに載ったのが2013年5月。ここから私のインターネット人生は始まったと言えます。2015年3月には初めてそのサイトの掲示板にカキコしてます。とは言え本格的に始めたのは中学に入ってから。

Googleアカウントを作ったのが中1か中2.Twitterは中1から。小説サイトは中2から始めた。ブログも中2。匿名掲示板も中2からかな。スマホを持ったのは中3から。筋金入りのパソコン少年でした。そんな私ももう高校3年生になります。

どうしてこんなことを振り返ってるかというと、今HDDを整理してて様々な記憶が呼び起こされたからです。現在画像ファイルをスマホからHDDに移していますが、えらい時間がかかっているので暇つぶしにブログを書いています。

今乱雑になっているHDDを整理することで、受験期に入ってから「あーHDDの整理でもするか」と現実逃避するのを防いでいるのです。

しかし外付けHDDの寿命を調べてみると、5年らしいです。何ということでしょう。勝手にもっと長いと思っていた。バックアップはHDDだけでは安心できない。でもCDに焼くのも面倒。「HDDよ、長持ちしてくれ」と願うばかり。

今移行が終わりました。整理整頓したらまた来ます。

Sleeperも受験生になりました

ついに私も受験生。中学受験もして高校受験もして次は大学受験。3回目の受験だ。これが最後なので悔いの残らない受験にしたい。
しかしやる気が出ない。やる気スイッチがあればいいのになーと思ってとりあえず踏ん張ってみるも体からやる気スイッチは出てこない。どうしよう。何にもやる気がしない。まず何をやればいいのか分からない。ぼんやりとは分かっているけど、やりたくない。始めたくない。何もかもしたくない。そうして逃げる先はどこか。そう、インターネットだ。ネットの海に放り出されたら自分という存在がちっぽけに思えて仕方ない。ネットにどっぷり浸かった私は自分の日々の生活を蔑ろにして廃人となっていた。ここ数日休校だったこともあって廃人化は加速度的に進んでいた。Youtube見まくり。マインスイーパやりまくり。ソリティアやりまくり。こんなことしてちゃいけないと思ってもそれをやり続けるという屑の精神性はなんjやニコ生主から学んだ。いつしか自分が堕ちていく様を楽しむようになっていた。
それではいけないと奮起したのが今日。日付変わってしまったから昨日の話。ここで私は今年の初めに勉強垢を作っていたことを告白する。失政を繰り返して「失地王」と呼ばれたイングランド国王のジョン王をアイコンにして「失点王」として活動していた。作ってから数日で飽きたので、活動というほど活動していなかった。
それでも昨日「勉強のモチベーションを上げよう」と思って久々にログインして「いいねの数だけ勉強する」という企画を実行した。勉強垢ではよくある企画だ。しかし待てど暮らせどいいねは1つもつかなかった。Sleeper垢でいいねが付かなくたって何も悲しくないが、勉強垢ではこれほど悲しいのか、と思った。フォロワーもSleeper垢の何倍もいた。ハッシュタグもつけて検索に引っかかるようにした。それなのに誰もいいねしてくれなかった。なぜか。ジョン王をアイコンにしているからだ。そう確信した私は「失点王」を削除し(50回目くらいの垢消し)、今度は大衆にウケるようなアニメっぽいアイコンでスタートしようとした。Sleeperをもじって「すりっぱ」という名前でアカウント作成して、アイコンを設定して、自己紹介を書いたら急に虚しくなった。なぜ私はこんなことをしているのか。大衆にウケようとして自分を曲げて、そこまでしないと私は勉強ができないのか。
自分で自分が、というか「すりっぱ」であろうとした自分が嫌になってまた垢消し(51回目くらいの垢消し)。そして誓った。

勉強垢は二度と作らない。

「これで終わりにしたいのだ
Twitterアカウントを僕は作りすぎた
これで終わりだ」

これはSleeperの最初のツイートである。Sleeperというアカウントを消すことは未来永劫無いし、これ以上アカウントを増やしもしないという心からの叫びである。このSleeperの原点に立ち返り、もう勉強垢は作らないと宣言する。
勉強垢を作るということは結局勉強からの逃避に過ぎず、何の解決にも至っていない。無意味なのだ。これをブログに書くことで忘れないでいられる。勉強垢は私にとってはただの逃避手段でしか無かった。勉強垢作る前に勉強しろ、それに尽きる。



ここからは本当に独り言。Sleeperについて。
Sleeperという人間はいつまでも厨二で根暗でお笑い好きで卑屈で陰険で豆腐メンタルで変人で頭でっかちのサブカル系人間だ。人間というものは様々な要素が積み重なって出来ているのだから、一様に平たく「陽キャ」「陰キャ」とかで括るのは人間の魅力を失わせていると思う。ただそれが世間一般に対して分かりやすく受け入れられやすいのは仕方ないことであり、私も大衆に合わせて「キャラ設定」「コンテンツ設定」みたいな面倒なことをネット上でし続けていたことは事実である。だからSleeperではそれをなるべくしたくない。ありのままでありたい。ブログも記事のジャンルがぐちゃぐちゃだけど、それが人間の本来あるべき姿なんじゃないかと思う。この名義で活動していると落ち着くのだ。これからもそんなカッコつけてて泥臭いSleeperという自分を愛していこうと思う。
それに加えて、あまり過激なことをネットでするのはもう止めようと思う。過激というと聞こえは悪いが、何か変なことをするのはやめる。名義を増やさないとするとSleeper垢でやることになるが、それではSleeper垢の居心地をどんどん悪くするだけだ。インターネットの自由を謳歌するのはこれから控えていこうと思う。散々謳歌した。掲示板作ったりホームページ作ったり。でももうやめる。ブログだけ。少しずつ抑えていく。これについてはまた記事にするかも。

しばしネットやめます

始まりがあれば終わりがある。

失わなければ新しいものは得られない。

私はネットを卒業します。

 

「またか、、、」

そうです。「また」です。正直卒業は無理であることは分かっています。もちろん卒業と言ったって一生ではありません。高校卒業まで、というか受験勉強が終わるまで、の予定なんですが受験が終わるのは再来年の2月末。つまり1年と三か月。無理ゲーでしょうか? いえ、達成しなくてはなりません。無理を承知で挑戦して、達成するのです。

 

ネットをやってて一番良くないのはネット脳になっているということ。

ストレス発散にネット。この回路が完全に出来上がってる今、勉強したらすぐにネット。帰ってきたらネット。それじゃ良くないんです。ストレス発散に勉強。この回路を作る必要があるんです。だからネットをやめます。本当にやめます。失わなければ新しいものを得ることは出来ないんです。

ネットは時間を搾取するものです。時間を搾取するために様々な工夫が凝らされているのがインターネットです。時は金なり。ネットやってる時間はただ搾取されているだけ。虚像に金払ってるわけです。そんなの無駄です。無駄無駄ぁ!!!!!

癒しをネットに求めない!

ネット中心に考えない!

ネットが脳の報酬系をハックする!

激ヤバアンチネット狂信者みたいな感じですが、このくらいしないとネットやめられない体になってしまいました。時間を投げうっているはずなのに、なぜ惜しげもなくいられるのか。それは脳をハックされているからです。本気でやめます。

今までSleeperとしてやってきましたが、結局は独り言の連続でした。それで良かったと思いますが、これから受験期なのでそれではよくありません。独り言に何時間も使ってられません。積極的に活動することで解決する悩みもあるものです。まずは行動しないと始まりません。

再来年の3月以降にまた戻ってくるかもしれませんし戻ってこないかもしれません。それまでに戻ってきたら直帰する所存です。今までありがとうございました。