石風呂というボカロPがいる。「コンテンポラリーな生活」や「ネクライトーキー」のフロントマンとしても(本名の朝日廉で)活動している。その3ユニットの曲に、今の私は励まされ、奮わされ、救われている。長々とそれぞれの楽曲について語っていこうと思う。
まず初めに知ったのはネクライトーキーだった。あれは確か2018年、中二になった春。その頃はロック音楽にハマっていた。
「オシャレ大作戦」(ネクライトーキー)
カウントダウンからのファイアー。そして陽気なイントロ。大学生ウェイウェイバンドだと最初は思った。しかし段々歌詞が不穏になっていく。明らかに大学生ではないと思われるヒゲモジャのおじさんも目に入る。そして2番のここ。
涙が出たって 大人なら
誰にも見せないで終わらせないと
そうやって嘘もつく
ちょっとオシャレでしょ?
反吐が出るなあ
なんてことだ。曲名にもある「オシャレ」を自分なりに提示してそれを「反吐が出る」と切り捨てている。このギャップは朝日さんの歌詞の特徴といえる。石風呂楽曲でも「ゆるふわ樹海ガール」とかはタイトルから正にそう。可愛い言葉を挟んでから強い言葉を言う。この言葉の落差がたまらなく好きだ。
ちなみに朝日さんは「反吐が出る」という言葉が好きなようで同バンド「気になっていく」やコンテンポラリーな生活(以下コンポラ)の「ヘドが出る前に」でも使われている。反吐っていうのは「反」という漢字が使われているように何か外部からの力に反抗して出てくる自分の気持ちである。反吐というのは強い言葉のようで自分の弱さを表現している。朝日さんは常に弱者側として聴く人を奮い立たせてくれるのだ。
コンポラの「化け物になれば」という曲にはこんな歌詞が存在する。
だけど君らは知ってるか
ロックンロールという音楽は
弱さすら歌うんだぜ
こんな臆病でも
ロックというのは弱い者が反抗する手段である。オシャレ大作戦は「大人になるにつれて世間が求めてくるもの(オシャレ)」に対して「大人になりきれない自分」は反抗していきたい、という曲なんだと思う。年齢への焦りもありながら、まだ反抗するぜ、って。銀河でヘヘイヘイって。
確かに風貌や振る舞いはウェイウェイバンドであるが、歌詞に何か違和感がある。
「不穏」がネクライトーキーの魅力だと思う。かわいい感じ、楽しい感じ、でもそれは感じだけでよく見ると何か違うような気がしてくる。
「オシャレ大作戦」の次に私は「だけじゃないBABY」を聴いた。優しく説法されてる感じ。あと何とも言えない虚無感。1回諦めて前に進もうよと言われる。
石風呂の「さよならガール、また会おう」でもそういうことが歌われる。ここから石風呂のターン。
昔のことは全部根に持とう いつかそれを晴らす為に
普通なら「忘れよう」って言うよ。忘れて楽しく生きようって言う。それが「根に持とう」。しかも「全部」! でもこれが心地良い。人間そう簡単に嫌なことを忘れないものだ。忘れて生きろとは綺麗事。ならいっそ全部根に持とう、それを晴らすため。それが過去の自分のためにも良いのだ。結局はポジティブなメッセージなのだ。根暗にとっての希望の歌。
「サイコなわたし」
全部が全部ぶっとんでもう
2人だけになっちゃったとしよう
歌を歌ってしばらく過ごそう
可愛すぎない?
散々根暗だ卑屈だ言ってきたけど、石風呂楽曲は可愛い。キライちゃんも可愛い。「〜〜ぜ!」みたいな言い回しも可愛い。「全部が全部ぶっとんでもう」という荒々しい入りから「2人だけになっちゃったとしよう」。「なっちゃった」が可愛い。「あれ?」「2人だけになっちゃったね」みたいな会話を想像出来る。そして「歌を歌ってしばらく過ごそう」。は〜〜。まず2人だけになって歌を歌うって。そして「しばらく」。心の赴くまま歌うわけですよ。なんだこの可愛い空間。
「ばいばいスーパースター」
この曲が好きすぎる。
きっと見えない魚が
身体を少しずつ食べていくように
消えないはずの気持ちも消えていくんだ
少し少しずつ
時が経つにつれて昔大事にしてた気持ちは見失われていく。でもそれでまた新しい何かに出会えるかもしれない。過去も現在も未来も、生きている時間全てを大切に過ごしていくのが一番の理想なのである。たった一度きりの人生なのだから。
人生は儚い。過ぎたものは戻らない。止まりたくても止まれない。その中でもなんとか足掻きたいから私はこれからも文章を残していく。
最後はコンポラ。ネクライ→石風呂→コンポラの順でハマった。今リピートし続けている「You'll dig it the most」というアルバムはベストアルバムだ。知った頃にはほとんど活動していない状態だったから、ベストアルバムから入った。
「笑えない日々、笑える毎日」
時々僕らは夢を見て
それ以外は嘘をついた
穴ぐら奥に逃げ込んで
イライラして
ここからは完全に個人的な話になるが、私は中学の頃帰宅部で、「穴蔵」というノートを作って夢や愚痴やらを書き殴っていた。アングラにハマっていて語感の似ている「穴蔵」をタイトルに掲げ、文字通り同級生が部活をする中私は穴蔵に逃げ込んでいたわけだ。どうにもならない毎日にイライラしていたのもそうだ。
「自分のことだ」
簡単にそう思った。でもこの歌は思い出深い。思い出に深くリンクしてると言った方が正確か。
「ひとえの少女」
歌詞は全文抜粋したくなったのでしません。(著作権の関係。どのくらいの一部抜粋はアリなのか?)
この曲が描くのは、何にもならなかった恋愛の記憶。ひとえの少女が笑うのを眺めている僕。完全に忘れることは無理なんだけど、どうにもならなかった恋。そういうもやもやが泣けるぐらい甘酸っぱい記憶になってる。
高校から男子校になってしまった私は特に。高校では楽しく生活してるのかな。よく笑うあの子はこの上なく可愛かった。今も記憶の中で。
最後にこの曲。
「センチメンタル・ジャンキー」
エモいとか簡単な言葉で語れるなら人生なんてゴミゲーだろう。やりきれないし憎んでも憎み足りないし、それでも誰かを愛したいし愛されたいし、人生は楽しすぎるし辛すぎる。死にたくなって生きたくなって、笑って泣いて怒って泣いて、急にどうでもよくなったふりしてずっと頭の中で考えが永遠に回っている。そしてそれこそが生きるってことだと思ってるから、これを止める気は無いしこれからも続けばいい、こういう気持ちが失われたときに精神は死を迎えると本気で思っている。
漂う愛を捨てないでくれ
引き出しの中
朝焼けのそば
見事に一つも残さんでくれ
難しいけど
悲しい夢を貶さんでくれ
確かに僕ら滑稽だけど
時代に折れず笑ってくれ
それだけでいい
僕ら、センチメンタル・ジャンキーさ
「見事に一つも残さんでくれ 難しいけど」という歌詞が好き。難しいけど、そういう気概で生きていきたい。
以上、長々と語りました。
朝日さんの作曲センスも素晴らしいのですが音楽知識は0なので歌詞メインで取り上げました。本当にもっと世間に知れ渡ってほしい。私も十分遅く知った方だけど。ここまで読んでいただきありがとうございました。