Sleeperのブログ

ネットの奥深くに眠るブログ。。。

文章というツールの危うさと良さ

現代になって、文章で残す機会が増えたと思う。

いやTwitterなんて140字しか書けないだろ、そんなん文章と言えるんかいと思うかもしれないが、それすらない時代に比べたら現代は「物書き」の時代である。

文章を書いていて思うのは、鋭利であるということ。人を簡単に刺せる、そんな力が文章にはある。これは「言葉には気を付けなよ」とか簡単なことを言いたいわけではない。イメージとして、文章ってツンツンしてるよね。物理的に。という話である。

口で言う言葉は、文章とは逆に鈍器だと感じる。なぜかというと、表情や口調が加わることで言葉そのもの以外の意味まで読み取れるからだ。言いたいことはほとんど伝わるから、威力が凄い。怒られたらシュンとするし、褒められたらニヤニヤしてしまう。

一方、文字ではなかなか伝わりにくい。だからこそ「文学」というものがある。文字で伝えられることが現実世界と変わらないのならば、芸術にはならない。音楽や絵画と同じである。文字だけという制限があるから、逆に一つ一つの言葉の意味が重くなるのだ。だから文章は面白い。

しかしそれが危うさともなる。一つ一つの言葉の意味が重いから、ちょっとした言葉の選び方で捉えられ方が全く変わってしまう。殴る気が無くても、ちょっと出てたささくれみたいな棘が人を刺してしまう。怖いね。言葉には気を付けなよ。

結局簡単なことを言いたいだけでした。

新しいブログの構想と、ペンネームの難しさ

新しいブログを始めたい。

「まーた新しいことしようとしているよ。。。」って思われそうですが。

20になるまでに何かしたいんですよ。

しかし、そのブログはとにかく「笑える」というブログにしたい。こんなに陰鬱でネクラなブログではなく。

しかしペンネームが難しい。

Sleeperは今、この状況において完璧、ほぼ無敵なペンネームだと思ってます。人を笑わせる人の名前ではないですが、とにかくスタイリッシュだな、と。字形のバランスがいい。「14jini_okiru」というのも良い。数字とアルファベット、最高。

Sleeperに至るまでは「28時に寝る子ちゃん」だったり、紆余曲折はありました。

だから紆余曲折する必要があるのかなー、と思ったり。

割と大体のペンネームのパターンやってしまったんですよ。竹藪ヤケタ、たけやぶやけた、ルッコラが怒るっコラ、7リットル、夜宮双葉(←超懐かしい)、京(けい)(←超超懐かしい)、たていすかん、(・Å・)(←!?)、nohohon。多すぎるけどまだ全然序の口。

ただ、友達に見せるとなると難しい。どれも。というかペンネーム自体が恥ずかしい。あだ名とかそういうのも特にないので、どうすればいいのやら。

 

ま、いっか。

 

一度しかない青春が空虚に流れていく

仕方のないことではあるが。

 

小学生の頃から、私は高校生になるのが楽しみだった。正直、小学生や中学生は義務教育に組み込まれているものだろう。自由なんて限られている。そこまで楽しいものではないかなと小学生ながらに思っていた。高校生は違って見えた。青春を全力で謳歌する、義務に縛られない自由さ、奔放さに憧れた。早く高校生になりたかった。

そんな私もついに2020年4月、高校生になった。待っていたのは緊急事態宣言による休校。出鼻を挫かれた。辛かった。しかし、辛いと言うのは無遠慮であるというムードが流れた。コロナウイルスで亡くなっている方も大勢いる。大変なのは皆同じだ。医療従事者も頑張っている。今は皆で耐える期間だ。

そうだ。

確かにそうだ。

正論以外の何物でもない。

正論だけでこの世にある感情全て処理できるなら、どれほど良かっただろうか。

誰がどうすることも出来ないこの問題、突如未来を奪い去った問題。私は未だに順応しきれていない。どうして自分たちだけ。皆は学生生活を送れていたからいいさ。「自分も不登校だった」とか知らない。勝手に不登校になってるだけでしょ。青春を楽しむチャンスがない、これほど悲しいことはないだろう。ラジオとか聞いていも度々高校時代の話とか出てくる。この時代は大切な時代なのに。過ぎ去ったら二度と来ないのに。くだらない飲み会かましてるバカな大人たちには嫌気が差すし、どうしようもないことにグジグジ悩んでいる自分もキライになる。でもここだけ鬱憤を吐かせてほしい。意味が分からない。どうして自分たちはこんな理不尽な目に遭わなきゃいけないんだ。何よりも青春が人生で一番大事な期間なのに、大人の都合で我慢しないといけないのか。学生はかかっても重症化しないって聞いた。インフルエンザと何が違うのか。

高校生活も半分終わった今となっては、どうしようも出来ないことだ。

愚痴を失礼しました。

承認欲求、そして人嫌い

自分を誰かに認めてもらいたい。そういう欲望は絶えずある。人よりも多い。

自分は特別な存在でありたいから、自分が好きな音楽は皆に認めてほしくなったり、オシャレな音楽を聴いていることでさらに自分を認めてほしくなったりする。音楽を紹介するときにはそういう邪な気持ちが入ってしまう。いい傾向ではないな、と思う。

人は誰しもそうであろう。「いいね」がつくと嬉しいし、褒められて嬉しくない人はいないんじゃないか。こういうインターネットの世界ではその「承認されている状態」が目に見えて分かる。いいねの数、フォロワーの数。そういうのを見て羨ましくなったり。それでおいて、今の世界ではそれが商売に直結する。

認めてもらいたい。この声が誰かに届いてほしい。

それと同時に、私の中にはつまらないプライドがある。「あまり貪欲になるのは意地汚くて嫌だな」と思っている。ブログにだってタグつけられるし、普段のツイートにハッシュタグつければいいねも増えるように思える。しかし、自分はそれを良しとしない。なぜならスマートじゃないからだ。人に認めてもらいたい上に、私はカッコよくみられたい。

その上、さらに難しいのが、私は人づきあいが苦手だということだ。一人の時間が好きだからインターネットに籠っているわけだし、Twitterでリプ返とかするのは面倒だから正直フォロワーも増やしたくない。今の状況はとても過ごしやすいが、「こんなツイートしたら迷惑かな、邪魔かな」と思うことはある。

人に認めてもらいたいのに、人と関係を持つことが苦手、そんな私が向かう先はどこであろうか。ブログはやっぱり見てもらいたいから大学に入ったら友達に見せる。しかし、このブログは見せない。このブログは人の中のどろどろとした部分が現れていて、見ていて心地良いものではないかもしれないからだ。人の闇を見ると私なんかは割と落ち込んでしまう人だから、基本友達といるときには毒を吐かず、こういうネットの隅っこで吐き出しているのだ。新しく作ったブログを見せようと思う。もし見たい人がいれば2年後に聞いてください。このブログは消す予定ないです。

大学に入ったら、というのは、今は高校生で勉強しなければいけないからだ。だがそれは建前で、実の所、高校入学前に作った垢を喧嘩して消して、気まずいから新しく作れず今に至っているわけだ。正確には喧嘩というわけでなく、私が勝手に嫌になって消してしまったのだ。前触れもなく。きっかけとなった出来事はあるが、周りは気づいたか気づいてないか。分からないが、そんな風に私はコミュ障くさい生活を送っていたのである。今、友達とのアカウントを作っていないのもコミュ障の延長線上にある。友達のアカウントは見ているのに。人の目は気になるからだ。人のことが気になるからだ。

全く人に興味がなければ、自由に生活できたのだろう。何も気にせず、自分のやりたいことをやるだけ、そうなのだろう。でも私は何をするにも人の目が気になるし、それが嫌になるし、でも気になるし。動けずじまいで終わっていくのだろうか、このまま。Sleeperはずっとこうしてネットの隅っこで、5chとかに適当にスレ立てしてレス返して、匿名のベールの向こうからしか、活躍できないのか。こんなにも明るい世界なのに。インターネットには夢しかつまっていない。私はインターネットが好きだ。大好きだ。しかし、同時に怖いのだ。インターネットに私の人生は侵されている。テクノ依存症とでも言うがいいさ。ただ、私は憧れてるのだ。まだ見ぬ世界に。

好きな音楽2021年7月

3か月ぶり。毎月更新するわけではない。

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ここ最近はずっとこれ。宇都宮出身のバンドということで親近感わく。疾走感が好き。

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すごく綺麗な歌詞。透き通ってる。

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同じく宇都宮のバンド。めっちゃロックで、不思議とかわいい曲。バンドは解散してしまったようだが、曲の良さは色褪せない。

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ラブ!アン!ディスコー! 理由もなく好き。

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SCHOOL OF LOCK!で頻繁に流れていた。パーっと世界が開けていくようで爽快。

今回は前回とは逆に男性ボーカルばかり。

音楽って良いね。

大学生になったら

2年後には私は大学生になっている。大学生というのは私は苦手な人種である。浮かれてる。たるんどる。最近の若者はなっとらん。しかし、それと同時に大学生活は楽しみでもある。そういう期待を胸に、今日は「1年生になったら」の替え歌である「大学生になったら」を歌おうと思う。ぜひ「1年生になったら」を流しながら聞いてもらいたい。

 

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