Sleeperのブログ

ネットの奥深くに眠るブログ。。。

青春コンプレックス

中学時代、私は帰宅部を選んだ。

良くも悪くも、それは私の人生に影響を与えた。

多分、今中学時代に戻ったとしても私は帰宅部を選んでいただろうと思う。運動も出来ないし、他の文化系部活には男子が少なくて居づらそうだったし。だから、仕方のないことである。ただ、どうにも消化できない、非常に迷惑な「後悔」が私の心の奥底に棲みついているのだ。これは文章にすれば消えるんじゃないかと思って今日の記事を書いている。いわばこの文章は中学時代の総決算である。新しい世界に進むために、この記事を書く。

 

中学時代、私には友達がいなかった。

小学校からの友人は誰一人いなかった。小学校時代から友人同士の人が大勢いる中で、私は一人であった。今まで隣の小学校に通っていたのに、中学校はバスで行かないといけないほど遠くなってしまった。それまでの世界が、ひっくり返ってしまったようだった。この世界の変化は中学1年生には早かったと思う。入学してからも気持ちばかりが焦る日々が続いた。

 

気づいたら私は部活に入っていなかった。部活動体験の際にも、部活に顔を出す勇気がなかった。希望する部活も無かったので、行く当ても無かった。そして友達もいなかった。孤立した私は、皆が部活動体験をする中、バス停でバスを待っていた。日が暮れるのを眺めながら、「自分はこれでいいのかな」と思った記憶がある。

「これではいけないかもしれない」

そう薄々思いながらも、やはり部活に入ることについては懐疑的であった。「入部する」「先輩がいる」「顧問がいる」、この世界が妙にうざったく感じた。

 

特に私は「先輩がいる」のが嫌いである。小学校のイベントのときに理不尽に遭って、理不尽に怒られ、人格を否定されたことは今でも鮮明に覚えている。あれから私は先輩とか年上とかを一切信用しなくなったし、長い年月が経った今でもやっぱり嫌いだ。楽しいはずのイベントが最悪の思い出になったショックはトラウマとして残っている。

 

そういうわけで結局部活に入らないのは、言ってしまえば必然であった。それなのにこの後悔は何だろうと思うと、やはり「ふいにした時間」と「送れたかもしれない同級生との青春」である。

 

ふいにした時間。これは大きなものであった。中学3年間部活に入っていないと、とんでもない量の時間が生まれた。この時間を有意義に過ごしたかと言えば、全くそんなことはない。なんとか有意義に過ごそうと思って悪戦苦闘していた。エブリスタで小説を書いたり、ブログを書いたりしているのも、この焦りから生まれている。今のような余裕は、その頃の創作物には無い。焦っては空回り。何かyoutuberで成功とか小説の新人賞獲得とか、そんなことがあれば「帰宅部でよかった」という根拠になる。その根拠を私は必死で探していた。しかし、見つからなかった。それで鬱になって、「ゆめにっき」というゲームが唯一の安らぎだった時期がある。

そして、送れたかもしれない同級生との青春である。たまに委員会の仕事で遅くまで学校にいると、頬を染めて汗をかいている友達の姿を見る。大声で笑い合ったり、タオルで顔を拭いたり。そんな中で一人歩いていると、ひどく惨めな気分になる。自分にもあんな青春が送れたかもしれない。運動神経が悪くたって、運動部に入った方が良かったのかもしれない。今更考えても遅いと言うのに。

 

部活を通して友達と仲良くなったり、異性と仲良くなって恋人未満友達以上の関係になったり、毎日日が暮れるまで学校で過ごしたり、結局そんな思い出が私は欲しかったのである。送れなかった思い出に憧れがあるのだ。これは青春コンプレックスである。いつも日が高いうちに学校を出て、バス停で一人バスを待つ生活は、結局のところしんどかったのだ。部活もしんどいと思う。確かに。しかし、一人というのは辛いのだ。何が辛いって、自分が何者でもないこと、それが一番辛いのだ。

 

こんなに熱く語ったって、無くなった青春は帰ってこないのだ。そんな思い描く青春は送れなかったかもしれないのにもかかわらず、私は幻想上の青春への憧れを強く抱く。

抱いていた。

それは今まで。

 

今、私は部活に入っているし、それなりに楽しい生活を送れている。バス停から見える夕焼けを見て落ち込んでいた、その日々が糧となって今の自分がいる。全ては繋がっている。中学時代は決して無駄にはなっていないのだ。

そのことを中学生の頃の自分に知ってほしい。

 

部活帰りの学生がたくさん乗った、熱気あふれるバスの中に、青春コンプレックスは忘れていこう。バスを降りて、外の空気を吸って、前に進もう。