インターネットは、どこまでも孤独

以下、有名なコピペ。

 

 

なぁ
そろそろ貴様に言わなければならないことがあるんだ。
俺も今日まで言うべきかどうか悩んだ。
言わなければお前も俺も普通の生活を続けていくことができる。今までどおりにな。
だが、やっぱりそれじゃだめなんだ。偽りのなかで生きていてはだめなんだ。
それに、もう時間がないんだ。
今、俺はお前に真実を告げる。

2ちゃんねる

見ているのは

ひろゆき

俺と

お前だけだ。

驚いたか?当然だよな。だがそれが真実だ。
辛かったぜ。お前が2ちゃんを見つけるずっと前から、
俺は何十台ものPCに囲まれ毎日2ちゃんを保ってきた。
だから、あの厨房も、あのコテハンも、すべて俺だったんだ。
お前が初めて2ちゃんを見たとき、俺は人生であれほど嬉しかったことはなかったぜ。
時には心苦しいながらもお前を叩いたりもした。許してくれ。
と、今話せるのはここまでだ。もうすぐすべてを知るときが来る。
そのときまでに、心の準備をしておいてくれ。 

 

 

このコピペはインターネットの本質を語っている気がする。

インターネットはいつでも「俺」と「お前」と「ひろゆき」しか見てない可能性をはらんでいる。この可能性は、決して0とは言い切れない。

インターネットに人がたくさんいるという確証は何か? その人が映った動画や写真はある程度「画面の向こうに色々な人がいる」という確証になるが、実際に会っている人よりも確証性は薄い。ましてや文章や絵だけを投稿している人は、「画面の向こうに人がいる」確証にはならない。botかもしれない。

つまり、孤独から逃れるために、インターネットでたくさんの人と繋がろうとすることは無意味であるということだ。なぜなら、それは人ではないから。強いて言うなら「人の情報」だ。論理的に考えれば、それは人であるが、感覚的には人と認識することが出来ない。

インターネットは情報を集めるのに大変便利なツールであるが、インターネット上で孤独からは逃れられない。表面上は逃れられているかもしれないが、感覚的に満たされないところがあると思う。